前回の続き。。
「エリート」と一緒に顧客「Bさん」の接待中。。
Bさんはもうネクタイを緩めたいと言った。
それをキッカケに政治や世界経済や会社経営などの
難しい話からざっくばらんな話へと方向が変わった。
もちろん厳格エリートとお堅い?Bさんだから
いきなり漫画や風〇の話になったわけじゃないが
タイの情勢についての話題になった。
ふぅ。。これは俺にとって多少マシな展開。
が、下手なことを言うとエリートに叱られる。
慎重にいかなければ。。
B 「もう10年前の話だけどね、ご存じかな?」
「ここ(タイ)でクーデターがあったんだよ」
エリ「ニュースで聞いたのを覚えています」
B 「その影響で当時私が担当してた大事な案件の
全部が全部NGになってね」
エリ「話の触りを聞いただけでゾッとしますね」
B 「あの時はその責任が全て私のところに来て
タヒぬ気でやり切ったの思い出すよ(笑)」
エリ「情勢が原因も個人の責任。。厳しいですね」
B 「血の流れないクーデターと馬鹿にされてたけど
あの時はタイ側も大変だったんだろうね」
エリ「現地ならではの苦労はあったでしょうね」
俺 「あ。。俺、その時タイに住んでました」
2人「おぉっ、どうだった?」
ここでやっと俺の出番?が来た。
エリートもBさんも熱心に俺の話を聞いてくれた。
いや、2人が人の話を聞くこともできるプロだった。
タイは2006年~2010年頃にかけて情勢不安定だった。
※俺は2001年~2008年末まで駐在員
※2012年~移住
その中でも実際体験して印象に残っているのが
街のあちこちで頻繁に行われていた反政府運動。
参加者はカラーギャングの様に服の色で別れていた。
黄色シャツ着用・・親政府派
赤色シャツ着用・・反政府派(タクシン派)
街を出歩く時は赤や黄色のシャツを着ては危ないと
注意喚起がされ、白や黒を意識して出かけたこと。
それからクーデーターが実際に開始された日。
あの日は朝一番に「M先輩」から電話が掛かってきて
「俺ちゃん!今日会社どうするの!?」の質問に対し
「クーデーターって何?」と馬鹿な回答をしたこと。
会社に「出勤どうしましょう?」と問い合わせたら
「各自判断に任せる」と言われたこと。
そして軍隊や戦車の横を走って会社へ向かったこと。
会社に到着したら遅れながらも日本人全員が来て
「俺ら完全な社畜だね」と大笑いしたこと。
その後『スワンナプーム国際空港』が封鎖される。
政権に反対する民主市民連合(PAD)による占領だ。
タイのメイン空港での国際便の発着ができない。
こんな大事件が発生したのだ。
国内外のニュースでも取り上げられ連日話題に。
俺は興味本位でチョンブリ県の顧客周りの帰り
自分の運転するクルマで空港の様子を伺いに行った。
空港前の高架は7号線入口付近で封鎖されており
映画でしか見たことの無いような大きさの
鉄条網(有刺鉄線)が置かれ、その前に武器を持った
サングラスと口を布で覆った門番が見えた。
目の前には映画「マッドマックス」や
漫画「北斗の拳」を彷彿させるリアルな世界。
「これはヤバい 」とクルマをUターンさせるため
切り返しをしていたら覆面門番がこちらに走ってきて
手にしていた5番アイアンでフロントガラスをゴツッ!
門番「何をしに来た!!」
俺達「いえっ 道に迷って(汗)」
門番「なんだ外国人か?今すぐ帰れ!」
俺達「カーーップ!!」
と、背中が汗でびっしょりになるほど焦ったこと。
エリ「そんな危ない場所に近づくとは(苦笑)」
B 「なかなか言い経験してますねぇ(笑)」
今日この場で沈黙を貫き通していた俺。。
いや、ただ単に話題に付いていけなかった俺だけど
少しだけここに来た意味があったような気がした。
そして接待はこのあと思いもがけない展開へ
話し上手な俺の引き抜きか??なんて(笑)
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【第1話】 俺
コメント
コメント一覧 (6)
私が初めてタイに行ったのが2007年6月でした。
私事ですが2007年5月に前の会社辞めて、
仲間とのワクワクの訪泰でした^ ^
その頃、情勢不安だったんですね!
ただその時にただならぬ雰囲気とか、緊迫感とかは
感じませんでした。そのあと日本で赤シャツや黄シャツとかのニュースをやってるのを見たような、見て無いような…そんな感覚です。
しかしスワナプームがマッドマックス状態なんて
恐ろしやー!俺さんご無事でなりよりです!^ ^
そんな話しに引き込まれるBさん。
我々も毎日の俺さんブログからビンビン感じる
リアリティ。誰もが惹きつけられます!^ ^
新たな出会いにチャンゲーオ\(^o^)/
この後どんな展開が待ってるのか楽しみです^ ^
俺
がしました
Bさん、エリさんもこのあとから普通の会話になっていくのですね(笑)
2012年でしたっけ?
あの時はRama4のシーロム通り近くに住んでいたので、最前線でした。
夜中に機関銃?の音と爆弾の音がすぐそこで聞こえてました。
朝起きて通りに出たら、燃えた無数のタイヤ、爆裂の跡など…
会社からはRama3のホテルに避難しろと言われて、日本人はみんな避難しました。
あまりに急な避難で、部屋に着替え等を置いてきてしまい、他の社員と一緒に取りに戻ろうとしたとき、ビルの駐車場に狙撃兵が… 大声で日本人です~と叫ぶと、走っていけ!と怒号が…約1㎞を全力疾走しました。
今思えばバカことしたなぁとは思いますが、いい経験ですね(笑)
上司がデモ隊の基地中心のコンドにいたので、迎えに行った事もありました。
基地の中は凄く平和で、ご飯、飲み物、歌のステージなんかもありました。
今の家は中心部から離れているので、巻き込まれることはないですが、生きているうちにはもう1度くらいクーデターや大規模デモがありそうですね(笑)
日本国民もこういう動きは少しは見習って欲しいですよ。
俺
がしました
無血クーデター、タイでは日常茶飯事だと聞いたことがありました(笑)
訪タイ初めのころ友人と二人でタイに行ったとき、タクシーで市内へ向かいましたが、スクンビットの高速の出口で1時間近く待たされたことがありました、出口を一時的に封鎖していたようです(多分クーデターの予行演習?)
そして旅行を終え帰国した翌日にクーデターが発生したことをニュースで見ました(;^_^A
また何年か前もあったと思いますが、この時は帰国の前日に急にセントラルなどが店じまいを始めて、おかしいなと思ってホテルに戻りテレビをつけるとどのチャンネルも軍人が映っていたような…
戒厳令が発令されたみたいで本当にびっくりしたことを思い出します…
翌日無事離タイすることはできましたが(;^_^A
旅行最終屋夜の発生で良かったなとつくづく思いました(笑)
あとは前後しますが、空港占拠事件のあおりで飛行機飛びませんの連絡を受けやむなく旅行をキャンセルという経験も(;^_^A
数多く訪タイしていると色々とあるものですね(笑)
俺
がしました
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