新・タイは若いうちに行け!痛感物語
「第2部」「第11章」のスタートです。
※再開記念!初回ボリューム1.5倍!
2008年12月末。。
丸8年間のタイ駐在員生活を終えた俺。
クッソ寒い真冬の『関西国際空港』に到着した。
久々の関空に帰ってきてまず思うこと。
・若い女のコのスタイルが悪い
・周りが全て日本語会話で戸惑う
・コンビニ商品の豊富な品揃え
・店員の丁寧な対応
・自動販売機がカッコいい
・マスク着用率が異常(新型コロナ規制前)
タクシーのドアが自動なのと車内の美しさ
運転手の受け答えの丁寧さには笑いさえ出そうだ。
運転手「ドアを閉めますね~」
「車内の温度は如何ですか?」
俺 「も、問題ありません。。」
これがタイだと運ちゃんは行先きで嫌な顔をしたり
エアコンに関しては吹き出し口を異常なまでに
微調整しながら自分だけに向けて涼んでいるだろう。
(あぁ。。ホントに戻って来たなぁ。。)
窓から見えるただの景色も目新しく映る。
久々の自宅はとても小さく感じた。
バンコクで最後に住んだコンドミニアムは古かったが
室内でゴルフクラブをぶん回せるほど広かった。
今ここで同じことをすると壁や天井に穴が開き
パターパットは毎回片付けないといけないだろう。
まぁ、日本ではゴルフなんか高くて出来ないから
帰国した俺には全く関係のないことなのだか(苦笑)
少し休憩したあと俺はすぐに買い物に出掛けた。
出掛けた、と言っても普通の近所の中型スーパー。
しかし!
俺にとっては全てが新商品。
それぞれに親切な説明付きでワクワクさえする。
読めるっ!読めるぞ!(笑)
しかも安い!
バンコクで常に日用品の買い物で利用していた
スクンビット soi39『フジスーパー』の半額レベル。
俺は一番最初に入った近所のスーパーで
2時間滞在し、2万円を消費した(笑)
全部欲しいっ!
周りから見ると商品棚をジッと見つめて動かないため
俺のことを ’’万引きGメン’’ と思われていたかも(笑)
だって卵の殻が白いんだもん!(笑)
夕方からは駐在前に大好きだったパチ屋の偵察。
もちろんパチ〇コ、パチス〇も全台が新台だ。
こんな贅沢?は過去に無い!(笑)
(タイ駐在の終了は本当に悲しかったけど
日本は日本で楽しいことも多いかもな。。)
なんと俺は駐在8年間で3回しか一時帰国をしていない
完全な ’’浦島太郎状態’’ なのだ。
物語でも所々で紹介したが「K美(嫁)」と子供は
タイ滞在中にトータル7回ほど帰国した(させた)
子供は1歳~8歳までをバンコクで過ごす。
最初の家族3人での一時帰国時には衝撃を受けた。
子供が車窓から外を見て「景色が全体的に低い」と
神妙な顔つきで悪気なくボソッと言った。
そりゃそうだろう。。
大都会バンコクからこのクソ田舎町の風景。
子供が5歳の時に一時帰国した時よりも
今の8歳のほうが感受性も高まっており
いちいち発言や行動が面白い。
そんな子供からするとコタツや布団、畳、障子などは
今でも知らない異国のように見えるらしい。
まぁこれは仕方ないよね。バンコクに無いんだから。
しかし、衝撃だったこと。
テレビとはビデオやDVD動画を写し出すだけの
専用モニターだと思っていたらしく
日本の番組が何チャンネルも裏で放送している事に
すごく喜んでいた横顔は今でも忘れない。
ちなみにバンコクで日本のテレビ番組を見る場合は
ビデオ録画(後半はDVDに変化)したものを
1~2週間遅れでレンタルしている業者があったので
それを利用し、家族で楽しむこともあった。
※2023年現在ではネットの普及によりリアルタイム視聴可
久しぶりに入った自宅のリビングにはホコリまみれの
昔ながらのブラウン管テレビ&ビデオデッキ。
もう今では誰も使っていないと言う(チョイ大袈裟)
翌日に即効で『K's デンキ』に薄型液晶テレビと
ブルーレイレコーダーを買いに走った(笑)
ちなみに俺は絵にかいた様に完全な ’’マスオさん’’
K美の両親には子供の面倒を見て貰うことも多く
今後も大変お世話になることをこの時は知らない。
子供のことで言えばバンコク生活8年のなかで
子供がひとりだけで外出することは絶対になかった。
通園、通学は専用バスでドア to ドアの完全送迎。
コンドミニアムの違う友達の家に遊びに行く場合は
親である俺達が何らかの手段で完全送迎。
想像して欲しい。。
あのスクンビットの大渋滞の中、歩道をひとりで歩く
日本人の小さな子供の姿を。。ありえない(笑)
だから?子供は今年9歳にもなろうとしているのに
補助輪付きの自転車にしか乗れなかったので
親子で秘密特訓から開始するハメになってしまった。
転校先となる小学校では「タイから来たんだって」
「日本語話せるのかな?」と噂になったようだ。
県外から転校してくる子供がひとりも居ないのに
それがましてや海外から。
まさに黒船来航ペリーさん状態(笑)
いや、これは笑ってはいけないな。。
俺のせいで迷惑を掛けたことも多いだろう。
暑いバンコクでは年中プールの授業があったため
のちにクラスで水泳が一番上手になる子供。
俺は知らぬ間に完全な ’’帰国子女’’ を作り上げていた。
ちなみに俺は絵にかいた様に完全な ’’マスオさん’’
K美の両親には子供の面倒を見て貰うことも多く
今後も大変お世話になることをこの時は知らない。
子供のことで言えばバンコク生活8年のなかで
子供がひとりだけで外出することは絶対になかった。
通園、通学は専用バスでドア to ドアの完全送迎。
コンドミニアムの違う友達の家に遊びに行く場合は
親である俺達が何らかの手段で完全送迎。
想像して欲しい。。
あのスクンビットの大渋滞の中、歩道をひとりで歩く
日本人の小さな子供の姿を。。ありえない(笑)
だから?子供は今年9歳にもなろうとしているのに
補助輪付きの自転車にしか乗れなかったので
親子で秘密特訓から開始するハメになってしまった。
転校先となる小学校では「タイから来たんだって」
「日本語話せるのかな?」と噂になったようだ。
県外から転校してくる子供がひとりも居ないのに
それがましてや海外から。
まさに黒船来航ペリーさん状態(笑)
いや、これは笑ってはいけないな。。
俺のせいで迷惑を掛けたことも多いだろう。
暑いバンコクでは年中プールの授業があったため
のちにクラスで水泳が一番上手になる子供。
俺は知らぬ間に完全な ’’帰国子女’’ を作り上げていた。
帰国することによる不安もあったが気持ちを切り替えていくしかない
なんとビックリ毎日更新
今日もポチっと応援よろしくお願いします
にほんブログ村
ブログ「タイ若!痛感物語」を最初から読む
1話1分程度で読めますので是非とも m(_ _)m
【第1話】 俺
コメント
コメント一覧 (10)
一番僕が面白いのはシャコタン、爆音、フルエアロなタクシーを見かけることがあるってことですね。
ボンネットピンが付いてたり、バンパーがなんちゃってファストファスナーで固定されてたり、個人所有のロットゥーハイエースでフルエアロシャコタン内装バニング状態とかも有りますよね。
帰国前のナナプラザで酔っ払って、タクシー乗車拒否にあい仕方なく乗れたこの手のタクシーの乗り心地の悪さで吐きそうになりながら空港に到着した思い出があります。
で、帰国して感じるのは屋外広告の寂しさというか印象の薄さ
タイの屋外広告ってわかりやすいし訴求力あると思うんですが日本のは遠慮気味というかなんというかw
あと普段電車乗らないのにバンコクでは基本電車なので感じるのですが、昔のBTS車内のうるささと比べると日本の電車ってホラーですよね静かすぎて、最近のBTSは日本みたいに静かですけど
で一番日本が素晴らしいのはトイレに困らないこと、駅にも当然ありますし、街中ではコンビニありますし
第二部も楽しみですw
俺
がしました
何もかにも違いすぎる。
一つ質問なんですが、
我々旅行者がタイでゴルフする時そんなに安いと感じないのですが、それは旅行者価格なんですかね?
同じゴルフ場でもタイ人、駐在の方がは安く出来てるもんなんですかね?
俺
がしました
楽しみにしております(・ω・)ノ
俺
がしました
約8年間の駐在期間は相当長い部類ですよね😃
娘さんは物心つく前から生活がタイ、正に異国に引っ越したような気分でしょうね💦
まあ母国ですのですぐに順応したんでしょうけどね😃
さあ俺さんいつまで耐えられるか(笑)
第二部しっかり楽しませて頂きます!!
俺
がしました
いよいよスタートしましたね。
ウラシマン状態は分かります。
今回の一時帰国でもかなり驚きの連続でした。
まずコンビニの支払いに馴れない。自動になったのは凄いけど、ついレジで人にお金を渡してしまう。
あと、高速道路。もう理解不能。
あと電車。東京はこの10年で色々な所に接続しているので、どこに行けるかすら分からない。
大阪はそれなりに分かります。といっても難波から大和高田の母親の家までですけど。
※難波は広すぎて迷います。
帰国子女!
恐らくうちの子達を日本に連れて行ったら度肝を抜くことでしょう。(笑)
ランパンの田舎者ですから全てが近未来の物。多分来年あたり日本デビューです。
じいちゃんも虹の橋を渡る前に会いたいみたいだし。
俺さんのお子様もタイと日本のGapに最初は驚いていたでしょう(笑)
でも子供だからすぐに日本の便利さ、空気の良さ、ごはんが美味しいなどの変化点に順応したのでは?
俺
がしました
コメント一覧