新・タイは若いうちに行け!痛感物語 「第2章」
2001年1月初旬 タイランド。。
俺のタイ駐在員生活がスタートした。
出発前は公私ともに多少の問題も発生したが
全て解決して? 心機一転で臨むことができた。
繰り返しになるが本社よりタイ出向となったのは
最終決定として以下の4人+ 俺。
「I先輩」 (俺より8歳年上)
「M先輩」 (俺より4歳年上)
「KTさん」(俺達の直属上司)
「Nさん」 (総監督・工場長)
そしてタイ側で現地採用の新入社員となった
在タイ歴10年の「Yさん」(俺より6歳年上)
異国の新天地での生活開始に多少の不安もあるが
5人の仲間がいるのはかなり心強い。
このメンバーで日本の本社のコピー工場を造り
タイランドで運営していくのだ。
Yさんを除く全員が同じアパートに住んでいる。
本社に社宅は無かったからなんとも不思議な感覚。
新天地バンコクでの生活に早く慣れるため
出向者で一致団結し行動を共にすることが多かった。
極端に言えば一日中生活を共にする仲間だ。
同じアパートに住み
同じ車に乗って一緒に出勤
もちろん同じ会社の敷地内で一緒に働き
朝・昼はオ〇マちゃんの食堂で一緒に食事
退社も朝と同様に全員一緒に帰宅
しかし肝心の仕事内容は各担当毎に異なるため
業務の負荷や終了時間がどうしても変わって来る。
特に問題が発生した時などは30分や40分では無く
数時間単位のズレになることも。
しかし通勤に使用するワゴン車は1台しかないため
退社タイミングを同じ時間に合わせて一緒に帰る。
これが続くと地味~にストレスとなるのだが
他にアパートに帰る術がないため仕方なし。。
現地のタクシーも走っているが毎日のことになると
出費もバカにならない ※片道約200バーツ
そしてなんとなく危険な香りもする。
たまにYさんの自家用車に乗せて貰うこともあるが
アパートの方向が若干違うし、渋滞が酷い日は
送ってもらった後に更にそこから自宅に帰る
Yさんのことを考えると非常に申し訳ないので
俺達出向者の中だけでやりくりを行おうと
最後になるひとりを待つのが日課になっていた。
帰宅後もメンバー全員一緒に近くの日本料理や
時にはローカル屋台飯にチャレンジしてみたり
帰り道に初期段階の生活必需品を揃えるため
そのまま通勤ワゴン車で買い物に行ったり
アパートの近所を歩いて散策してみたり
バイクタクシーやシーロー(軽4輪)の乗り方など。。
とにかく常に全員一緒の行動だった
しかしタイ生活開始時に不安も心配も少なかったのは
本当にありがたかったと今でも思う。
しかも近所には『フジスーパー2号店』と言う
日本食材や品物を揃えている大きなスーパーもあり
ひとりでも何の問題もない生活環境に感謝。
I先輩やM先輩はもちろん、上司となる2人の方も
協力してくれたり親身になって相談に乗ってくれ
とても頼りになるメンバーだなと感じていた。
そんな俺達はバンコクで最初の週末を迎えた
なんとビックリ毎日更新
今日もポチっと応援よろしくお願いします
にほんブログ村
コメント
コメント一覧 (4)
いよいよ第2章の始まりおめでとう?ございます😃
私は旅行(遊び)での訪タイしか経験がないので、仕事でのタイ在住は色んな意味で本当に大変だったでしょうね💦でもその分ディープなタイを体験できる、こちらに勝るものはないかもですね😃
俺
がしました
前作から数えて、3度目、4度目の読み返しになりますが!!
これからが楽しみな展開ですよね(笑)
しかも、
最初の週末!
これからの展開に期待しちゃいますね!
これからも頑張って下さい!
それにしても、私もパタヤに行きたいです。
その時はよろしくお願いします(笑)
俺
がしました
コメント一覧